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山あいに架かる智頭急行智頭線の高架橋と、その下に広がる集落の風景
スーパーはくと大全 第2章

智頭急行とスーパーはくとの歴史──未成線から生まれた陰陽連絡の主役

智頭線は、一度は工事が凍結された「未成線」でした。それがなぜ完成し、なぜ特急街道になったのか。この列車が生まれた背景をたどります。

山あいに架かる智頭急行智頭線の高架橋と、その下に広がる集落の風景
山あいに架かる智頭急行智頭線の高架橋と、その下に広がる集落の風景

智頭線は、一度は工事が凍結された「未成線」でした。それがなぜ完成し、なぜ特急街道になったのか。この列車が生まれた背景をたどります。

山陰は「遠い」場所だった

現在、大阪から鳥取までは特急1本で2時間30分前後です。しかし1994年より前、この移動はまったく違うものでした。

当時、京阪神から鳥取へ向かう鉄道ルートは主に2通りありました。ひとつは、姫路から播但線を北上して山陰本線に出て、日本海沿いを西へ進む経路。もうひとつは、山陽本線で岡山まで行き、津山線・因美線を乗り継いで山を越える経路です。どちらも所要時間は3時間台後半から4時間以上。特急を使っても、京阪神と鳥取は「日帰りが難しい距離」でした。

理由は地形にあります。中国山地は標高こそ高くないものの、幅が広く、谷が入り組んでいます。明治から昭和にかけて建設された鉄道は、地形に沿って谷を縫うように敷かれたため、距離が伸び、カーブが多く、速度を出せませんでした。瀬戸内側(山陽)と日本海側(山陰)を結ぶ「陰陽連絡」は、鉄道にとって長年の課題だったのです。

戦前から構想されていた智頭線

上郡から智頭へ抜ける短絡ルートの構想自体は、決して新しいものではありません。兵庫県南西部の上郡と鳥取県南東部の智頭を最短で結べば、山陽と山陰が一気に近づくことは、早くから認識されていました。この路線は、戦前の鉄道敷設計画のなかにすでに位置づけられていました。

しかし着工は戦争によって中断され、戦後の復興期にも優先度は上がりませんでした。日本の鉄道投資は、まず東海道・山陽といった大動脈と、大都市圏の輸送力増強に向かいます。地方の陰陽連絡線は後回しにされ続けました。

本格的に工事が動き出したのは1960年代後半以降です。日本鉄道建設公団(鉄建公団)による建設が進み、トンネルや橋脚が中国山地の各所に姿を現していきました。当時の設計は最初から高規格で、将来の高速運転を見据えた線形が採用されていました。この判断が、後にスーパーはくとの速達性を支えることになります。

国鉄の経営危機と工事凍結

ところが1980年代に入り、状況が一変します。国鉄(日本国有鉄道)の累積赤字が深刻化し、1980年に国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)が成立。採算の見込めない新規路線の建設が凍結されました。智頭線もその対象となり、路盤やトンネルの大部分が完成していながら、線路の敷かれない「未成線」として工事が止まってしまいます。

中国山地には、開通する見込みのないトンネルとコンクリートの高架が、そのまま放置されることになりました。地元にとっては、長年待ち望んだ路線が完成目前で凍結されたことになります。

しかし、この路線には他の未成線とは異なる強みがありました。それは、すでに高規格で工事が進んでいたことと、開通すれば京阪神と鳥取を明確に近づけるという、はっきりした需要が見込めたことです。単なる地域内の輸送ではなく、都市間の速達輸送を担いうる路線だったのです。

第三セクター「智頭急行」の設立

凍結された路線を救う枠組みとして選ばれたのが、第三セクター方式でした。1986年、兵庫県・岡山県・鳥取県の3県と沿線市町村、地元金融機関などが出資して「智頭急行株式会社」が設立されます。車両形式「HOT7000系」の由来が兵庫(Hyogo)・岡山(Okayama)・鳥取(Tottori)であることは第1章で触れましたが、それはこの出資構造をそのまま表しています。

第三セクター鉄道の多くは、国鉄・JRの赤字ローカル線を引き継いだものです。輸送密度が低く、地域の足を守ることが主目的で、経営は常に厳しい。智頭急行はそれらとは出自が異なります。最初から都市間特急の走行を前提に、新しく開業した路線だったのです。

とはいえ、開業までの道のりは平坦ではありませんでした。工事再開後も資金調達、用地、設備の仕様決定など課題は多く、開業は当初の見込みより後ろにずれ込みます。

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1994年12月3日、開業

そして1994年12月3日、智頭急行智頭線が開業します。上郡と智頭を結ぶ、およそ56キロメートルの路線です。

この日、同時に運行を開始したのが特急「スーパーはくと」でした。路線の開業と看板列車のデビューが同じ日というのは、地方の第三セクター鉄道としては異例です。それだけこの路線が、最初から「特急を走らせるための線路」として構想されていたことの表れでもあります。

開業がもたらしたインパクトは大きなものでした。大阪〜鳥取の所要時間は大幅に短縮され、それまで「泊まりがけ」だった出張が日帰り圏に入りました。観光面でも、京阪神から鳥取砂丘や三朝温泉へのアクセスが現実的になり、週末旅行の目的地として鳥取が選ばれるようになります。

さらに重要なのは、鳥取県東部にとっての「都市とのつながり方」が変わったことです。それまで岡山経由が主流だった鳥取市の移動が、京阪神直結に切り替わりました。人の流れが変わり、経済圏の向きが変わったのです。

高速バス・マイカー・航空との競争

開業後のスーパーはくとは、順風満帆だったわけではありません。同じ区間には競合が存在します。

高速バスは、鉄道より安い運賃で京阪神と鳥取を結びます。所要時間は鉄道より長くなりますが、乗り換えなしで目的地の近くまで行ける便もあり、価格重視の利用者には有力な選択肢です。

マイカーも大きな競合です。中国自動車道と鳥取自動車道の整備が進み、特に鳥取自動車道は無料区間を含むことから、自動車での移動コストが下がりました。家族連れや荷物の多い旅行では、車が選ばれやすくなります。

航空機は、鳥取空港・米子空港と東京(羽田)を結ぶ路線が中心で、京阪神との競合は限定的です。ただし東京方面からの旅行者にとっては、鉄道と航空の選択が発生します。

こうした競争環境のなかで、スーパーはくとは「速さ」と「乗り換えなしの直通性」「定時性」を武器にしてきました。渋滞に左右されない、京都・大阪・三ノ宮・姫路という主要都市を串刺しにする、車内で仕事ができる。これらは道路交通にはない価値です。

平成から令和へ──車両のリニューアル

1994年のデビューから20年以上が経過し、HOT7000系は大規模なリニューアルを受けます。外装のカラーリングが刷新され、内装は木目調を取り入れた落ち着いた意匠に改められました。座席の表地が変更され、モバイル機器の充電に対応する電源コンセントが整備されるなど、現代の乗客の使い方に合わせた更新が行われています。

こうした改修は、単なる延命ではありません。都市間特急として選ばれ続けるには、車内で快適に過ごせること、仕事ができること、スマートフォンを気兼ねなく使えることが前提条件になっています。リニューアルは、その水準に追いつくための投資でした。

また、鳥取県の観光PRと連動したラッピング車両が運行されることもあり、列車そのものが地域の広告媒体としての役割も担ってきました。

車両の詳細については、次の第3章で扱います。

感染症拡大と回復

2020年以降の感染症拡大は、鉄道業界全体に深刻な影響を与えました。出張の中止、観光の自粛、帰省の抑制。長距離を移動する特急列車は、最も打撃を受けたカテゴリのひとつです。スーパーはくとも例外ではなく、利用の落ち込みに対応して運転本数の見直しが行われた時期がありました。

智頭急行にとって、この影響はとりわけ重いものでした。同社の収入構造は、自社線内の普通列車よりも、特急列車の走行に伴う収入への依存度が高いという特徴があります。線路使用料や、智頭線区間の運賃・料金収入が、経営の中核を占めるのです。特急の減便は、そのまま経営に直結します。

その後、行動制限の緩和とともに需要は回復基調に入りました。観光需要が戻り、訪日外国人の増加も追い風となっています。ただし、出張需要についてはオンライン会議の定着によって完全には戻らないという見方もあり、鉄道各社は観光・余暇需要の取り込みに軸足を移しつつあります。この構造変化は、鉄道業界全体に共通するテーマです。当サイトでは鉄道業界のDX推進と未来展望でも関連する動きを扱っています。

「未成線が特急街道になった」という意味

智頭線の歴史を振り返ると、いくつもの偶然と判断が重なっていることが分かります。

戦前に構想され、戦争で止まり、高度成長期に高規格で工事が進み、国鉄の経営危機で凍結され、第三セクターとして復活し、開業と同時に特急が走り始めた。もし工事が低規格で進んでいたら、あるいは凍結された時点で放棄されていたら、今日の京阪神〜鳥取の移動はまったく違うものになっていたはずです。

第三セクター鉄道といえば、赤字ローカル線の受け皿というイメージが強い。しかし智頭急行は、「新しく造った高規格路線に、他社の都市間特急を走らせる」という別のモデルを示しました。地方鉄道の生き残り方として、これは重要な事例です。

もちろん、課題がないわけではありません。人口減少が続く沿線で、地域輸送の需要は先細りします。設備の更新には多額の費用がかかり、車両も開業から30年を超えました。特急依存の収益構造は、特急の需要が揺らげば脆さを露呈します。それでもなお、この路線が地域にもたらした「時間短縮」という価値は、数字以上の意味を持ち続けています。

本章のまとめ

  • 上郡〜智頭を結ぶ短絡線の構想は戦前からあったが、戦争と国鉄の経営危機によって長く実現しなかった。
  • 1980年の国鉄再建法によって工事が凍結され、路盤やトンネルが完成しながら線路の敷かれない未成線となった。
  • 1986年、兵庫・岡山・鳥取の3県などが出資して第三セクター「智頭急行」が設立され、工事が再開された。
  • 1994年12月3日に智頭線が開業し、同日に特急「スーパーはくと」が運行を開始した。
  • 開業により大阪〜鳥取の所要時間が大幅に短縮され、鳥取県東部の経済圏の向きが京阪神へと変わった。
  • 高速バス・マイカーとの競争、感染症拡大による需要の落ち込みを経て、現在は観光需要を軸に回復しつつある。

次章では、この路線を走る車両「HOT7000系」に焦点を当てます。振り子式とは何か、どの座席を選ぶべきか、車内で何ができるのかを具体的に見ていきます。

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